24時間ずっと一緒
ずいぶんと1人で出来ることが増え、助けられることも多い子どもたち。
それでも、やはり、例えば何か悩んでじっくり考えたりする時なんかは、一緒じゃない時がいいなー…と思うことはよくあって。
そして、一緒じゃない時間は、確実に、つくれる。今なら。割と簡単に。頻繁に。
しかし、3人目が出てきてからはそうはいかない。
今後仕事をどうしていくかにもよるけど、幼稚園なら3年くらいはずっと、24時間ずっと一緒。
スペシャルに、預ける先があるとき以外は。
確実に、1人になりたいー!!!と叫ぶことになる。まして、相手は赤ん坊だもの。生活のすべてに私の手が必要だ。
それに耐えられるかどうか。
一方で、歳が近かった2人育児の時に比べれば、上が大きくなっているので、あそこまでひどいことにはならないだろう…(なんとなくのイメージ、ひどすぎてあまり記憶がない)とも思える。
好きで産んだくせに、と言われるかもしれないが、本当に産む前に予測など出来なかった。1人目も、2人目も、それぞれに予測など出来ないことがいっぱいあった。
出来事自体が想定外なことはもちろん、起こり得ることは予測できたとしても、それに対する自分のキャパシティが予測できなかったり、家族や家庭環境に起こる変化もあり、さまざまな想定外が起きた。
自分の体力も気持ちも、2人目のときとは全然違う。
悲観も油断もせず、頼れるものには頼って、事前の準備はしっかりと、でも絶対に想定外は起きることを想定はして。
例えば上の子どもたちが、すごくひねくれた赤ちゃん返りをするかもしれない、とは想定しても、全くしないかもしれないし、それこそありえない反応をするかもしれない。やってみなきゃわからない。
気持ちに余裕を。
すごーくナーバスになり、焦ることもあれば、
なーに、何とかなるさー、何とかするしかないさー、と思えることもあり。
今更、産むのやめられないもの笑
いまの子どもたちより小さい子を見かけると、かわいいなあ、より、大丈夫かな、私…が先に来るから、やっぱり不安の方が大きいのだろうけど。
頑張れ私。
ちなみに、いまの自分の子どもたちより大きな子どもについての悩みや、街中での行動を見聞きして、私大丈夫かな、と不安を覚えることもないわけじゃないけど、ずっと弱いし、焦燥感がないのは、具体的に想像ができないからだと思う。
先々までそんなに具体的に不安になれたら、子どもなんて産めないわ。
知らないがゆえに増す恐怖。
知ってるがゆえに増す不安。
いろいろだなぁ。